小説 多田先生反省記
2.新たなる生活
朝、隣の部屋の物音で目を覚ました。見慣れぬ天井の模様だった。ゆるやかな丸みが長くなる。誰かの顔のようでもあるが、はっきりしない。目を細めたり拡げてみたりした。顎がやたらとしゃくりあがった顔になってきたところですっかり目が覚めて、布団に座り直してあたりを見廻した。茶色がかった障子が玄関の廊下と隣室の不肖の先生の部屋を塞いでいる。襖の向こうから茶碗のあたる音がする。
「おはようございます」
「あら、ま、おはようございます。夕べはよう眠れんしゃたですね?」
「はい、ぐっすり。顔を洗いたいのですが・・・」
「はい、シェンシェイ、こっちですけん、どうぞ!」
婆さんはそう言いながら廊下のガラス戸をこじ明けて庭に下りていった。
「シェンシェイ、つっかけがありますけん、そればつこうて・・・。こげんもん見んしゃったことなかろうばってん、うちではまだ、つこうとりますと。ヒッヒッヒ!」
井戸にトタン屋根がかかっている。ギッコン、ギッコンと水を汲んだ。庭には松も椿もない。大きな八つ手の葉がここにもこんもりと生い繁っているだけだった。なぜかあたりには小さな貝殻がいっぱい散らばっている。よく見ると納屋のような婆さんの家と軒続きの家があり、さらにもう一軒家がある。小さな女の子がうろうろしていたが、そのうちあたりが騒がしくなってきた。小さいのから、中くらい、歳のいったのまで庭に出てきて、挨拶をしてくる。
この屋敷内には婆さんの兄夫婦とその娘夫婦の三世帯がいることや、兄夫婦には適齢期の娘もいることなど聞きながら私は朝の膳についた。
「シェンシェイはオキュートは好いとんしゃぁですか?」
なんの脈略もなくお灸の話しが出てきて返答に困った。博多名物のこんにゃくのようなものを食べてみたが、どうにも舌になじまない。これがオキュートだった。言葉の響きといい、どうにも年寄りじみていて気にくわない。婆さんは美味そうにもごもごとやっている。顎が無闇に突き出ていて、その代わりに頬がやたらにへこんでいて、なんとも滑稽である。みそ汁には煮干しが入っていた。うっかりしていたら口に中に泳いできた。ようようの思いで飯を平らげて部屋に戻って布団をしまい荷物の整理を始めた。古くさい部屋がわずかばかりの家具でいくらか華やいだ感がする。婆さんが覗いた。東京のハイカラ先生のことだから木枠でしっかりと括られた荷はベットだと思いこんでいたらしい。襖を仕切る書棚をみてほっとした表情をうかべた。ベットなどもってきたら婆さんの腰が抜ける前にこの家の畳が抜け落ちてしまいかねない。
一服して私は大学に出かけた。道順を教えてもらうまでもないほどすぐ近くにある。道すがら突き当たりを曲がるところで振り返ったら、婆さんが顎を突き出しながら見送っていた。
中川に一通り大学の中を案内してもらった。構内には相当の樹齢を重ねた松が幾本も縦横に大きな幹や枝をいっぱいに伸ばしている。キャンパスはシンと静まりかえっている。海からそよぐ潮風が松の枝に触れる音しか聞こえてこない。研究室に行ってみた。ドアの上にはすでに私の名前が張りついている。部屋の中はあっけらかんとして何もない。窓越しに小学校の校庭をはさんで、その向こうに東西に拡がる海岸線が見えている。昨日上空から眺めた博多湾だ。空が雲で覆われているせいか海の色もそのまま空を映し出しているようで、どことなく冴えがない。さして大きくないフェリーボートが進んでゆく。手を伸ばしたら届きそうなところにぽっかりと浮かんでいる島に向かうところのようだ。その島が夏ともなれば海水浴や潮干狩りでにぎわう能古の島だと知ったのはその晩だった。島のにぎわいはどうでもよかった。能古の島というこの名と博多の情熱の文学者,壇一雄の名が結びつくまでいささか時を要した。
帰り際、研究所の事務員に呼び止められた。
「鍵ば、置いとってくれんね。机と長椅子はもう入ったとね?」その中年の女性は私を見つめて怒ったように問いかけている。背後から初老の男が慌てて中に入った。
「ああ、多田シェンシェイ、研究室はもうご覧になりましたとですか?さっきゆうたとおり、あの・・・机や椅子はあと二三日したら入りますけん」
もみ手をしながら愛想良く声をかけたのは研究所の事務長の室住だった。室住はくだんの女性に顔を向けてこう云った。
「甘木さん、こちら今度赴任なさった多田シェンシェイたい。あんたさっきおんしゃしゃれんときぃ、中川シェンシェイから紹介されたとたい」
「あら、えらいことしてしまいました。すいまっせん。先生、わたし、業者の人かと思うとりました」
多田は裏手の海岸へと足を向けた。小さな浪がひたひたと寄せては引いてゆく。砂地にペンキのはげかけた看板がぶらさがった海の家が何軒か軒を並べている。海に石ころでも投げようかと足もとも見たが、砂と小さな貝殻しかなかった。どんよりとした海原が静かにうねっている。
下宿に戻って声をかけたが、婆さんはいなかった。表通りに出ていった。市電の乗り降りする安全地帯に立っていたら薄汚れた電車がごとごとと近づいてきたので、行くあてもなかったが、何とはなしに電車に乗り込んだ。うら寂しい町を抜け出して賑やいだ雑踏に身をおきたかった。電車は怒ってでもいるような調子で左右に揺れながら突き進んでいった。時折、苛ただしそうな警笛がやかましく鳴り響いた。線路の中に自動車が行く先をはばむように入り込むのだろう。しばらくするとお掘が目に入ってきた。柳の向こうに城跡が見える。どこまで行くという分別もないので終点まで座っていた。そこは博多駅だった。電車は落ち着きなく荒々しい走り方をしていたが、人の流れはどうにもゆったりしていて歩調が合わない。歩いていても他人と肩が触れるようなこともないので一層そんな心持になるのかもしれない。大きな、それでいてシンとした暗い駅の構内を一回りして駅のデパートに入ってみたが、雑然としていてしまりがない。もう一度電車通りに出てみたが、どの電車に乗ったら西新に戻れるのかわからない。人に聞くのも癪なので記憶と勘を頼りに歩き出した。適当に歩いて辿り着かなかったらタクシーに乗ればよい。しばらくしたら丸善の看板が見えた。本だけしか扱っていなかったが、それでも何となくほっとした。二階の洋書売場を眺めて数冊手にして表に出ると、行き交う電車の窓から灯りがもれていた。街に活気がでてきたような気もする。喉も乾いてきた。適当なところで酒でも呑もうかとふらふらと歩いていった。電車の停留所は中洲となっていた。小料理屋の暖簾をくぐると威勢のよい声で迎えられた。喉を通うビールには格別の味わいがあった。板前はことさら愛想を振りまくでもない。肴を頼めばびっくりするような大きな声で相槌をうって大げさに包丁を扱っている。さすがに魚は新鮮だった。身の引き締まったハマチの刺身を口に運ぶにつれて、いよいよ遠くに来たのだという思いが胸に迫った。